幼少時代

幼少時は、北九州市にある難聴幼児通園施設へ通っていました。
小学1〜5年生は大分県立ろう学校に通学していました。クラスメイトが6人しかいなく、物足りなさを感じていたのを覚えています。普通の学校では1クラス30人もいて、部活も盛んで、そこに憧れていたので小学6年生のときに転校を決意しました。

社会人になって

その後、ろう学校高等部を卒業した後は飲食業に関わりがある専門学校へ行きたかったのですが、すべて断られてしまいました。理由は、ろう者に対する情報保障が整っていないとの事でした。また、両親は安定した企業への就職を望んでいたので、やむなく飲食業への夢を一度諦めました。

再挑戦

それからしばらくして父が体を壊したのを機に退職し実家に戻りました。実家近くには直ぐに入れるような就職環境がなかったので、社会福祉協議会に入ることにしました。
しかし、ある時、介護施設で利用者の方に、筆談で「あなた、本当にここで働いていいの?」と言われました。「あなたはいろいろできるんだから、ここに居てはいけない。もっと好きに、自由に、やってみて」
この一言が、再び私を動かしてくれるきっかけとなりました。

専門学校へ

その後、複数の専門学校を受験し福岡キャナリー製菓調理専門学校のカフェ総合カフェオーナーコースに入学します。カフェ経営術だけではなく、ケーキからパン、コーヒー、和洋中すべてを学びました。なかでも一番思い出に残っているのは、コーヒーの基本でもあるエスプレッソの本場、イタリアへ2週間ほど留学へ行った時のことです。エスプレッソの技術だけでなく、お客様と接するバリスタにとても感銘を受け、日本で多くの人へ届けたいと思いました。

キッチンカー、スタート

それからしばらくして、キッチンカーでの販売をスタートさせました。元々、全国各地を回りたいという夢もあり、2つを同時に叶えることが可能な選択をしました。それに、キッチンカーからスタートすれば、いろんな人に私のことを知ってもらえるとも思いました。将来は、福岡市でお店を開くのが最終的な目標です。
早いもので今年でキッチンカー歴は4年になります。マルシェやイベントへ出店したり、企業系イベントに呼ばれることも多くなりました。

メニューへのこだわり

某ハンバーガー店のCMでは美味しそうでボリュームがあるハンバーガーが映り込んでいるのに、実際に行ってみるとクオリティが低くてガッカリする事はないでしょうか?私は、お客様には実際に見た時の驚きと喜びを届けたいと思っています。クオリティを重視して、味も常に追求しています。厳選したバンズと、自家製のパティ。「当たり前よりも、良い品を提供したい」というこだわりを持って作っています。

未来へ挑戦する

私はいつまでも「挑戦者」であり続けたいと考えています。これからも多くの事に挑戦していき、自分を試したいと思います。そして自分を見て頂き、一人でも多くの人に元気と勇気を与えれたら嬉しく思います。
すごい才能を持っているのに、それを発揮できていないろう者や障がい者ってたくさんいる事を知ってもらいたいです。そして、彼らが活躍できる、またはフォローすることができる会社があって欲しいと思いますし、自分で実現したいと考えています。